―初心者が汗と不安を抱えて歩いた、たった一日の物語―
朝、車のドアを閉めた瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。

「今日、本当に登れるんだろうか」
そんな不安が、まだ薄暗い登山口の空気に溶けていく。
登山を始めてまだ1年程度。
きっかけは、息子に誘われて登ったあの秋の日だった。
あの日から、山は僕にとって“挑戦”であり“癒し”であり、そして“自分を取り戻す場所”になった。
今日は、幼い頃からの友人と登る。気心の知れた相手と山に向かうのは、どこか心強い。
登山口に立つと、なぜか自分の弱さが露わになる
登山口に立つと、毎回思う。
「ここから先は、言い訳ができない世界だ」と。
仕事では段取りも計画も、ある程度は自分のコントロール下に置ける。
だが山は違う。
天気も、体調も、足場も、思い通りにはいかない。
だからこそ、山に入ると自分の弱さがむき出しになる。
友人が笑いながら言う。
「まあ、ゆっくり行こうや。今日は景色を楽しむ日だで」
その言葉に、肩の力が少し抜けた。
最初の急登で、心が折れかける
登り始めて10分。
すでに息が上がっている。
足は重く、背中のザックがやけに存在感を主張してくる。
「こんなにキツかったっけ…?」
汗が額を伝い、首筋を流れ落ちる。
まだ序盤なのに、心の中で弱音が渦を巻く。
だが、友人は振り返って言う。
「ほら、ここ見てみ。光がきれいやぞ」
木々の隙間から差し込む朝日が、霧を淡く照らしていた。
その光景に、胸のざわつきがすっと消えていく。
山は、苦しさの中に必ず“救い”を差し込んでくる。
それが、僕が山を好きになった理由のひとつだ。
汗だくの身体と、静かに整っていく心
中腹に差し掛かる頃には、汗でシャツが肌に張り付いていた。
呼吸は荒く、足は鉛のように重い。
だが、不思議と心は落ち着いていた。
登山を始めて気づいたことがある。
“身体が苦しいときほど、心は静かになる”ということだ。
仕事での悩みも、家のことも、将来の不安も、
山を歩いている間だけは、すべてが遠くに追いやられる。
目の前の一歩に集中するしかないからだ。
友人が言う。
「お前、最近なんか変わったよな。前より楽しそうや」
その言葉に、少し照れながらも嬉しくなる。
山頂が近づくと、なぜか胸が熱くなる
山頂まであと少し。
木々の間から空が広がり、風が肌を撫でる。
その瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「ここまで来たんだな…」
たった数時間の登りなのに、
まるで長い旅をしてきたような気持ちになる。
山頂に立つと、視界が一気に開けた。
眼下には街並みが広がり、遠くには別の山々が連なる。
風が頬を撫で、汗で濡れたシャツが冷たく感じる。
友人が笑う。
「ほら、来てよかったやろ?」
僕は大きく頷いた。
山頂で食べるカップ麺は、なぜこんなにうまいのか
山頂で腰を下ろし、ザックからカップ麺を取り出す。
ただのインスタント麺なのに、驚くほどうまい。
噛むたびに、身体の隅々までエネルギーが染み渡っていく。
「これやで、山の醍醐味は」
友人がそう言って笑う。
山頂で食べるものは、味以上に“達成感”が調味料になる。
それは、どんな高級料理にも勝る。
下山は、登りとは違う 静かな時間
下山を始めると、登りとは違う静けさが訪れる。

足元に気を配りながら、ゆっくりと歩く。
風の音、鳥の声、木々のざわめき。
自然の音だけが耳に届く。
途中、友人がふと呟いた。
「こういう時間、大事やな」
その言葉に、僕も深く頷いた。
山は、ただ登るだけの場所じゃない。
自分の心を整える場所でもある。
登山口に戻った瞬間、少しだけ自分が好きになる
登山口に戻ると、朝とは違う自分がそこにいた。
疲れているはずなのに、心は軽い。
汗まみれの身体が、むしろ誇らしい。
「今日もよう頑張ったな」
そう自分に言える日が増えていくのが、嬉しい。
山に登るたびに、
“昨日より少しだけ強い自分”に出会える。
それが、僕が登山を続ける理由だ。
まとめ:初心者こそ、山に登る価値がある
登山は決して楽ではない。
息は切れるし、足は痛いし、汗だくになる。
だが、その苦しさの先にある景色や感情は、
日常ではなかなか味わえないものだ。
初心者だからこそ、
一歩一歩に意味がある。
不安も、弱さも、全部抱えたまま登っていい。
山は、そんな僕たちを受け入れてくれる。

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